日本経済新聞名物コラム
ビジネスマンなら一度は耳にする偉人が、自ら半生を語るコラム『私の履歴書』。 昭和31年から50年以上読者の皆様に愛される名物コラムのバックナンバーも、日経電子版ならまとめてご覧いただけます。 偉人が偉業を成し遂げるに至った経緯やその名言・経営哲学は、現代のビジネスにも直接役立つという意見もいただいております。
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現在も第一線でご活躍のファッションデザイナー、コシノジュンコ氏。 涙あり、笑いありの「私の履歴書」は、幅広い読者様から好評いただいております。 ぜひこの機会にご覧ください。
名言
「向こう岸、見ているだけでは渡れない」
日本を代表するファッションデザイナー、コシノジュンコ氏。
昭和33年に文化服装学院に入学、2回生の昭和34年には、新人デザイナーの登竜門として知られる「装苑賞」を最年少で受賞。
平成2年にニューヨークのメトロポリタン美術館、平成8年にキューバでファッションショーを開催するなど、現在も世界各国にファッション文化を発信している。
「うまくいかないのは運でもなんでもない。 経営の進め方が当を得ていないからだ」
松下電器(現パナソニック)を一代で築き上げた、松下幸之助氏。
戦後の再建を経た昭和31年には「5年で売り上げを4倍にしよう」と5ヵ年計画を発表する。
周囲は半信半疑であったが、わずか4年でその目標を達成したことから「経営の神様」と呼ばれる。
景気変動に対して柔軟な「ダム経営」、土日を休日とする「週5日制」も宣言し、現代にもその知恵は引き継がれている。
全29回
おすすめ回
5ヵ年計画とは
昭和30年現在で年220億円だった販売高を、5年後に4倍にする計画を立案。当時、こうした長期計画を発表する民間企業はなかった。
ダム経営とは
最初から一定の余裕をもった経営のあり方をダムに例え、健全で利潤の高い経営をめざした。
「動機善なりや、私心なかりしか」
京セラ・第二電電(現KDDI)の創業者、稲盛和夫氏。
昭和34年、27歳という若さで京都セラミックを設立。
また昭和59年、業界の不合理な独占に対抗して第二電電を設立。
稲盛氏の「誰もしないなら私が参入しようか」というベンチャー気質の意思決定の背景には、「利他の心で判断する」という経営哲学がある。
アメーバ経営とは
アメーバの自己増殖のように、社員の能力が最大限発揮され、個人個人が生きがいを持った状態が理想だ。
「事業の目的とは顧客をつくり出すこと」
「経営コンサルタント」という言葉を生み出したマネジメントの発明者、ピーター・ドラッカー氏。
大学教授時代の研究・著述活動が有名だが、過去には証券アナリスト、新聞記者、コンサルタント など多彩な経歴を持つ。
特にナチス政権下で記者として活動した経験や先駆者の存在は同氏の経営哲学に影響を与えた。
経営コンサルタントとは
マネジメントの重要性が問われたコンサルティング業界の揺籃期、マッキンゼーの呼称が問われた。
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